
ご挨拶が遅くなりましたが、北京駐在生活を終え本日日本に帰国しました。
帰国前二週間前から、約6年ぶりの日本での生活を迎えるにあたっての心境の変化や、北京生活との別れに何を考え何をするのかなんてことを赤裸々に綴ろうと意気込んでいましたが、ご存知のとおり中国から当ブログのFC2にアクセスできなくなり、帰国後にご挨拶になってしまいました。
長期にわたり応援してくださった方スンマセンでした。
そして、有難う御座いました。
まぁ、そんないつ何が起こるか解らない生活環境ともやっとお別れです。
youtubeもいつでも見れるしtwitterも出来るし、制約のないネット環境ってこれほどいいものかとホトホト感じてしまいます。
北京に降り立ったのは2004年4月4日(←忘れてましたが、パスポート見たらこの日でした)。SARSが終息した翌年でした。
90年代からいらっしゃる方からすると当時はすでに十分に住みやすい環境だったのでしょうが、2004年の北京は日本の生活からすると、それはそれは毎日ハプニングの連続で、そんな環境の中で仕事なんて出来るのかと、降り立った瞬間から不安になったことを思い出します。
タクシーもまだ8元スタート(天津は5元)で、値段の上がり方の違う3種のタクシーが走っていて、まだまだ夏利(大昔のシャレード)ばかりの頃でした。
翌年には反日デモが起こり、東三環路の日本料理屋が襲撃され、サッカー・アジアカップでは駐在大使(だったかな?)の車が襲撃されるなんてこともあった時です。
その頃はアジアカップが開催された工人体育場に繋がる工体北路沿いに住んでいて、歩行者天国と化した工体北路を、中国国旗や赤い色を身にまとった中国人民がわっさわっさと行進する情景をマンションから見下ろしながら、日の丸をまとって歩いてみようかななんて無茶なことも考えたことを思い出します。
さらに翌年だったと思いますが、今頃になって解決しそうな冷凍餃子の毒物混入事件が起こりました。
家で手軽く作れるお気に入りの食べ物の一つが冷凍水餃子で、結構な頻度で食べていたのですが、そんな生活を知っていた友人・家族は、ダーシーはとんでもないものを食べ続けて大丈夫か!なんて心配もされた記憶があります。
現地に住んでいる者からすると、日本の過剰な反応はある種滑稽で、平和ボケした日本が変に感じたことを思い出します。
それに、ワタクシ自信も完全否定は出来ませんが、日本人ってしんそこ中国に偏見を持っていることを再認識させられた事件でした。
2007年は、北京の遊園地『北京石景山游楽園』でパクリ・キャラクターが叩かれた年でした。えらい不細工なディズニーやサンリオのキャラクターが遊園地のそこら中を練り歩き、日本の報道各社に取材されまくってましたね。
そんなキャラクターを中国人は自国独自のキャラクターだと信じていた実態。報道が規制され、世界を知らないことの無知の怖さを感じたことを思い出します。
2008年はなんと言っても北京オリンピックでしょう。
自分の住んでいる街でオリンピックが開催されるなど、生涯に二度とない経験のような気がします。
最初はどうでもいいやなんて考えていましたが、日が近づくにつれ、一度はオリンピックを観てみたいと思い、手当たり次第にチケット探しました。
が、そんな苦労と反比例するように、チケット余り現象が起こり、日系旅行代理店からは売れ残りのチケットがわんさか出てくる始末に。
天津で開催された男子サッカーに始まり、開催期間中はほぼ毎日、それも一日に複数競技のチケットを手に、北京市内を行ったり来たりしながら観戦しまくりました。
朝から晩までオリンピック漬けのあんな日は、もう二度とないでしょう。
よく言われることですが、北京はオリンピックを境に本当に発展したと思います。
北京はあの一年で凄まじく住みやすい街になったような気がします。
青空も見れるようになりましたし。。。

そんな生活環境にも増して、ビジネスの世界は大変でした。
一番困ったのはバックマージン。いわゆる袖の下行為です。
中国は北に行くほどその傾向が強いといわれますが、実態はどうなのでしょう。
その真偽はよく解りませんが、1万元の商品を1万元そのままの価格でお客さんに届ける、日本では当たり前のことが非常に難しかった。
お値段頑張って1万元にしました!というと、いやいや、1.5万元でいいから、5千元バックくしてくれ!なんて要望が担当者や資材部門からごく当たり前に言われる始末。
当然その5千元はその会社の利益を削り、個人の懐を暖める訳です。
正義感に燃えていたワタクシは見て見ぬ振りは出来ず、ローカルスタッフともかなり遣り合いました。半ば諦めようかとも思いましたが、そこだけは最後まで譲れなかった。。。
結果、社内でもかなりの敵を作って終わりました。中国という郷に入って郷に従えなかったひとつの事柄です。
まぁ、日本人でもバックマージンを要求してくる会社があるほどですから、悪しき行為と解っていても甘い汁を目の前に歯止めが利かなくなる状況を見て、一方で、人間の弱さをまじまじと感じさせられました。
家政婦は見た!じゃないですけど、部下の中国人にバレてること解ってやってるんですかね。中国語も解らず、バレてないと思ってるんでしょうね。
そりゃ、日本での役職よりも一段も二段も上のポジションに就いて仕事する訳ですし、日本人駐在員に与えられる権限はそれなりなので、やろうと思えばなんでも出来てしまう。
それなりの役職に就いている人では、家の頭金になるくらいのお金を手に出来てしまのかもしれませんが、あんた、そんなことしてバレて日本に帰れなくなることのリスクを考えられないんですか!って言いたいです。
結果、帰れなくなり路頭を迷うエリートサラリーマンも何人か見てきましたが、日本人・中国人問わず、かようも人間って弱いものかと痛感させられた駐在生活でした。
女に騙されておかしくなってしまう人も数知れず。。。
今までに話したこともないいろいろな職業や体験をされている方にも数多く会いました。
日本に居ては、昔からの友達と会社の繋がりしかないような生活だったので、様々な人達に会えたことは、自分にとってもは非常に新鮮でした。
何を根拠にそこまでポジティブになれるんですか?ってぐらいに生き生きとした人。
どうやったらそこまで中国社会に入り込めるんですか!ってぐらいに中国人化して頑張っている人。
この人どうやって生計立ててるんだろうと、心配になってしまうくらいに何しているのか解らない人。
毎日、会社とスナック通いを頑張り、週末どころか、平日までゴルフ三昧で、昼夜遊び狂ってる引退間際の駐在員。
まだ飽きませんか?って聞きたくなるくらいに、週に何回もエロ・カラオケに通う駐在員。
センセーと名のつく人々のあまりにも世間知らずな実態。
明らかに日本に居場所がなくなって、また、日本に居れなくなって逃げてきたような人。
現実逃避なのか、とりあえず中国に来て居座り続けているような人。
ワタクシがブログで生計立てていると思い込んでいる人。
中国という国や人民に対してよりも、同じ日本人にこんな人がいるんだと、一番のカルチャーショックでした。
そんな生活・仕事環境や面白い日本人に出会えたことが、今までの人生では得ることが出来なかった思わぬ経験値になりました。
2004年4月に北京に降り立ってから6年と16日の駐在員生活。
同僚はもちろんのこと、社外の日本人・中国人、はたまた欧米その他国々の人達に支えられ、無事に駐在生活を全う出来たことは、言葉では言い表すことが出来ないほど感謝の気持ちでいっぱいです。
ワタクシのみならず、家族も含め支えてくださった皆様、本当に有難う御座いました。
苦労も一杯ありましたが、振り返ると充実した本当に楽しい駐在員生活でした。
リアルでお会いした方はもちろん、当ブログを応援してくださった皆様、またどこかでお会いできることを楽しみにしています。
大家非常感謝!!再見!
完
ダーシー
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